大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成4年(ワ)8283号 判決

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

第一  請求

一  被告は、原告宮ビル不動産株式会社に対し、金三億〇五〇〇万円及びこれに対する平成四年六月二日(訴状送達の日の翌日)から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告有限会社バロンに対し、金三七五〇万円及びこれに対する平成四年六月二日(訴状送達の日の翌日)から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、原告らが、被告のもと従業員であつた大澄一三の絵画投資勧誘行為によつて画商富美インターナショナル株式会社との間で絵画投資契約を結んだところ、投資金の返還と配当金の支払いとが受けられなかつたため、右契約が違法不当のものであり、これへの投資を勧誘した行為も違法不当なものであるとして、被告の使用者責任等を追及した事案である。

二  原告らの主張

1(一)  原告宮ビル不動産株式会社(以下「原告宮ビル」という。)は、不動産の鑑定評価等を目的とする会社であり、原告有限会社バロン(以下「原告バロン」という。)は、不動産の管理等を目的とする会社である。

(二)  被告は、かねてから画商富美インターナショナル株式会社(以下「富美」という。)に対し金融支援をしていた。

(三)  大澄一三(以下「大澄」という。)は、昭和三九年四月に被告銀行に入行し、昭和五七年三月に被告銀座支店勤務となり、以来、同支店において支店長代理として取引先の新規開拓にあたつていたものである。

2(一)  富美は、昭和五五年一〇月美術品の輸出入及び販売を目的として設立された会社であり、百貨店等に美術品の販売を行つていた。

(二)  富美のメインバンクは第一勧業銀行麹町支店であつたが、被告は、昭和六一年一二月三日ころ富美に三〇〇〇万円を貸し付けて取引を開始し、昭和六三年一月三〇日ころには富美に三億円を貸し付けて第一勧業銀行からの借入金を返済させ、同銀行に代わつて富美のメインバンクとなつた。

3  被告(銀座支店)は、昭和五九年ころから、原告宮ビルとの新規取引の開始を求めて大澄を同原告のもとに訪問させていたが、原告宮ビルはこれに応じず、そのメインバンク三菱銀行麹町支店との取引を継続していた。

4(一)  大澄は、昭和六三年一二月ころ、取引先開拓活動の一環として、原告宮ビルの代表者宮崎武夫(以下「宮崎」という。)に対し、「これからは絵画投資の時代だ。絵画は年間四割から五割の値上がりが期待できる。富美は被告がメインバンクとして子会社のように支援している会社であり、全く問題はない。絵画投資といつても、一年後に二割の利益を乗せて買い戻す契約である。元金と利益とが保証されるので安心である。資金がないならぜひ当行(被告)で借りてほしい。」、「この作品は世界的に稀少価値のあるものであるから、うまくすると年間四、五割の値上がりが見込める。」旨を述べて、熱心に絵画投資を勧誘した。

(二)  そこで、原告宮ビルは、大澄の右言を信じ、昭和六三年一二月二七日ころ、デ・クーニング作の絵画「ウーマン」について富美に二億七五〇〇万円を支払つて次のとおりの協定を結んだ(以下、このような協定を「本件絵画投資契約」ともいう。)。

〈1〉原告宮ビルは富美から絵画「ウーマン」を購入し、富美はこれを一年以内に販売する。

〈2〉富美は、一年後に、元金二億七五〇〇万円を返還し、二割の配当金を支払う。

(三)  大澄は、右絵画投資契約についてその保証人となつた。

5(一)  原告宮ビルは、その後も、大澄の強い勧誘により、次のとおり、富美に対する投資を継続して本件絵画投資契約を結んだ。

(1) 平成元年五月一六日 九七八二万一五〇〇円

(2) 平成元年一二月二〇日 二億八八五〇万円((6)に継続)

(3) 平成二年四月一一日 一億円

(4) 平成二年五月二四日 一億円

(5) 平成二年七月六日 一億五〇〇〇万円

(6) 平成二年一二月二〇日 二億六〇〇〇万円

(二)  原告宮ビルは、右(3)ないし(6)について、投資元金の返還及び約定の配当金の支払いを受けておらず、投資元金合計六億一〇〇〇万円の損害を被つた。

6(一)  原告バロンは、平成二年五月二九日ころ、宮崎から、「富美は被告の全面的な支援を受けており、同年四月ころには被告から大澄が副社長として派遣されたほどで、全く問題のない会社である。」との説明を受けて、富美を紹介され、これを信用して、富美に対し七五〇〇万円を投資して本件絵画投資契約を結んだ。

(二)  原告バロンは、右元金七五〇〇万円の返還とその配当金の支払いを受けることができず、投資元金と同額の損害を被つた。

7  使用者責任

(一) 大澄は、富美のメインバンクたる被告(銀座支店)の富美担当者として、富美を金融面・営業面で積極的に支援しており、その一環として、昭和六三年一二月二七日ころ、原告宮ビルをして富美に投資させ、富美から高額絵画を購入させて本件絵画投資契約を結ばせたものである。

(二) しかし、本件絵画投資契約は、左記のとおり違法不当なものであつて、早晩破綻を免れないものであつた。すなわち、

(1) 出資法違反

本件絵画投資契約の内容は、投資家が購入した高額絵画等を富美に預け、富美が占有したまま販売活動を行い、一定期間(原告らの場合は一年)内にこれを他に転売して利益を上げ、その期間経過後に投資金(購入代金)全額と一定の割合(通常年二割)による配当金を支払うというシステムであるが、しかし、このシステムは、当初から不特定多数の投資家を対象に考案されたものであり、投資対象絵画も初めから富美が指定しており、絵画の購入は単なる名目にすぎず、そして投資対象絵画の転売の成否にかかわらず富美は投資元金と配当金を返還するというものであるから、それは、もはや「出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律」第一条に違反する疑いが極めて濃厚である。

(2) 不当性(販売能力なし)

富美は、投資対象高額絵画を一年以内に一・二倍以上の値段で売却しなければならないが、それは、富美のそれまでの販売実績からみて、およそ不可能なことであつた。

(3) 同(資金力なし)

右販売ができなければ、富美は右投資対象高額絵画を一年後に一・二倍の値段で自ら買い戻さなければならないが、富美にはそのような資金力はなかつた。

(4) 同(収益力なし)

富美に自ら買い戻す資金力がないとすると、富美は年二割の配当金を支払つて元金の投資を継続してもらうほかないが、富美にはそのような配当金すら支払える収益力はなかつた。

(5) 同(絵画市況の不安定)

右配当金すら支払うことができなければ、富美は配当金を元金に加えて投資を継続してもらうしかないが、この場合、絵画市況が一年間で一・二倍、二年間で一・四四倍、三年間で一・七二八倍に値上がりすることが必要であるが、かかる値上がりはおよそありえず、現に平成二年ころから絵画市況は暴落しているのである。

(6) 同(資金繰り逼迫)

富美は、昭和六三年一二月当時、先に購入した絵画「一四九二年パロスを出発するコロンブス」関係等の借入利息だけで年間約一億三三〇〇万円を支払つていたのであり、その資金繰りは明らかに逼迫していた。

(7) 同(簿外負債の無限連鎖的発生)

この窮状を打開するためには、富美の従前の百貨店等に対する販売方法ではだめで、これとは異なる販売方法すなわち本件絵画投資契約の契約者の獲得による売上の増加に活路をみい出すほかないが、そうとすれば、本件絵画投資契約はこれを獲得すれば獲得するほど投資金及び配当金の返還債務(簿外負債)が増え続けるのであるから、そこに無限連鎖類似の関係が成立することになる。

(三)(1) 大澄は、右のとおり本件絵画投資契約が違法不当なものであり早晩破綻を免れないものであることを知りながら、または重大な過失によりそれを知らないで、原告宮ビルに対し絵画投資を勧誘し(以下、このような勧誘を「本件絵画投資勧誘行為」という。)、原告宮ビルをして、それが適法妥当なものであり確実に投資金の返還と配当金の支払いを受けられるものと誤信させて、多額の投資を実行継続させたものである。

(2) 大澄の本件絵画投資勧誘行為は、富美のメインバンクたる被告(銀座支店)の富美担当者として、富美を金融面・営業面で積極的に支援する一環としてなされたものであり、ひいては被告銀行の発展のためになされたものであつて、大澄は絵画投資契約なるものの考案にも当初から参画し、協定書の案文作りにも深く関与しており、そして、大澄は自己が職務上接する取引先等を次々と勧誘し、こうした中で原告宮ビルは大澄から強い勧誘を受けて絵画投資を開始したものである。大澄が原告宮ビルを勧誘した目的の一つに、新規取引先の開拓として原告宮ビルに投資金を貸し付けようとする意図があり、投資金の融資まで申し出ていることは、特に注意すべき事実である。

(3) 大澄の本件絵画投資勧誘行為は、その職務行為が取引先の新規開拓であり、昭和六三年一二月当時その一環としていわゆる提案型業務推進が広く行われていたことに鑑みると、まさに被告の事業の執行につきなされていたものといえるのである。

(四) もつとも、前記5(一)の(1)ないし(6)の投資それ自体については、必ずしも大澄が被告銀座支店の支店長代理として勧誘したわけではないが、本件絵画投資契約は、前記のとおり、新規投資家をみつけるかまたは既存投資家に対し投資の追加・継続をさせなければたちまちに破綻する性質を内在させているものであり、大澄はかかる性質を前提として本件絵画投資契約への勧誘をなしたものであるから、その勧誘に基づき発生することが当然に予見されたその後の追加継続の投資契約についても、大澄は勧誘の責任を負うべきである。

(五) また、原告バロンの富美に対する前記七五〇〇万円の投資についても、それが大澄の直接的勧誘によるものでないことは前記のとおりであるが、しかし、大澄は原告宮ビルに対して本件絵画投資契約への勧誘をなしたものであるから、その勧誘に基づき発生することが当然に予見されるその後の新規投資契約については当然その責任を負うべきであり、原告宮ビルが大澄の言を信じてこれを原告バロンに受け売りし、新たな投資家を勧誘することは当然に予見されたことであるから、そうとすれば、大澄は原告バロンの前記投資についても責任を負うべきである。

8  被害防止義務違反

(一) 被告は、富美から平成元年一二月期の決算書類をその確定申告時期である平成二年二月末日から少なくとも一か月以内には受け取つており、そのころまでに、富美の資産・負債の状況、損益の状況、営業の状況からみて、富美においては早晩本件絵画投資契約に基づく配当金の支払いはもとよりその当時までに少なくとも合計数十億円に上ると認識していた投資元金すら投資家に返還できず、本件絵画投資契約はやがて破綻に至る可能性が大であることを了知するに至つた。

(二) このような場合、被告としては、その被用者たる大澄が被告の事業の執行について本件絵画投資契約の締結を原告宮ビルら投資家に勧誘しており、また、自らは大蔵大臣から免許を得て銀行業を営む公共金融機関であつたのであるから、新たな被害者及び被害額の発生を防止するため、直ちに原告宮ビルら投資家に対してその旨を告知して注意を喚起する等しかるべき被害発生拡大防止措置をとるべき義務があつた。

(三) しかるに、被告は、これを怠り、原告宮ビルら投資家に対して何らの措置も講ぜず、却つて富美のメインバンクとしての融資を続けて、原告宮ビルら投資家をして富美の破綻に気付かせず、その後もなお投資を続けさせていたものである。

(四) 被告は、被害防止義務違反として、原告宮ビル及び原告バロンに対し、その損害を賠償すべき責任がある。

9  支援責任(共同不法行為責任)

被告は、昭和六三年一月富美のメインバンクとなつたころから富美に対する支援姿勢を強め、同年一二月ころからは、本件絵画投資契約を、運転資金の貸出という金融面と投資家の勧誘や投資家への投資金の貸出という営業面において、積極的に支援してきた。

しかし、本件絵画投資契約は違法不当のものであつたのであるから、これを支援した被告には、不法行為の幇助者としての共同不法行為責任がある。

10  よつて、原告らは、被告に対し、前記各責任原因を理由として、原告宮ビルにおいては前記六億一〇〇〇万円の内金三億〇五〇〇万円の、原告バロンにおいては前記七五〇〇万円の内金三七五〇万円の各支払いと各不法行為後である本件訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

三  被告の主張

1  原告宮ビルが富美との間で昭和六三年一二月に第一回目の本件絵画投資契約を結んだのは、大澄の勧誘行為によるものではなく、専ら、ニューヨークの絵画オークションに自ら参加した原告宮ビルの代表者宮崎の自主的判断によるものである。それ故にこそ、原告宮ビルは、前記絵画「ウーマン」への投資金二億七五〇〇万円を他で調達して、被告銀行からは借り入れていないのである。

2  仮に大澄の勧誘行為によつて原告宮ビルが富美との間で本件絵画投資契約を結んだとしても、大澄の本件絵画投資勧誘行為は被告銀行の事業の執行につきなされたものとは到底いえないものである。

3  原告バロンは、宮崎の紹介勧誘により富美との間で本件絵画投資契約を結んだものであり、大澄の勧誘行為により結んだものではない。

4  被告が富美のメインバンクとなつて多額の融資をしたことは事実であるが、それだからといつて被告が原告主張のような支援責任を負ういわれはなく、また、原告の主張する被害防止義務を負ういわれもない。

四  争点

1  原告宮ビルの本件絵画投資契約は、大澄の勧誘行為によつてなされたものか。

2  大澄の右勧誘行為は、被告の「事業の執行に付き」なされたものといえるか。

3  被告に原告ら主張の被害防止義務があるか。

4  被告に原告ら主張の支援責任があるか。

第三  当裁判所の判断

(一)  《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

1(一) 原告宮ビル不動産株式会社(以下「原告宮ビル」という。)は、不動産の管理業務、鑑定業務を行う会社であり、その代表取締役は不動産鑑定士の資格をも有する宮崎武夫(以下「宮崎」という。)である。

(二)  大澄一三(以下「大澄」という。)は、昭和三九年四月に被告銀行に入行し、昭和五七年三月に被告銀座支店勤務となり、昭和五八年九月ころから支店長代理として新規取引先の開拓などの職務に従事していた。

大澄のそのころの職務内容は、新規取引先の獲得と既取引先との取引拡大にあり、内部的には未だ何らの決済権限も有していなかつた。

(三)  富美インターナショナル株式会社(以下「富美」という。)は、昭和五五年一〇月に設立された絵画等の輸出入や販売を目的とする会社であり、その代表取締役は藤原一世(以下「藤原」という。)であつた。

2(一) 大澄は、昭和五九年ころから、宮崎に対し、原告宮ビルの取引銀行を三菱銀行麹町支店から被告銀座支店に変えるよう勧めていたが、宮崎は、さほどメリットがないとしてこれに応ぜず、依然として三菱銀行麹町支店との取引を継続していた。

(二)  大澄と宮崎には共通の知人である不動産鑑定士須藤康弘(以下「須藤」という。)がいた。

3(一) 被告(銀座支店)は、昭和六一年一一月三〇日ころ、富美に対し、野田某を担当者として、藤原の所有する港区赤坂のマンションを担保に、在庫絵画購入資金としての一億円を融資した。これによつて被告と富美との取引が始められた。

(二)  被告(銀座支店)は、昭和六二年一一月三〇日ころ、富美に対し、大澄を担当者として一億円を融資し、更に、同年一二月三日ころ、在庫絵画購入資金として五〇〇〇万円を融資した。

(三)  被告(銀座支店)は、昭和六三年一一月三〇日、富美に対し、大澄を担当者として三億円を融資し、富美は、これによりそれまでの借入先であつた第一勧業銀行麹町支店に借入金全部を返済して、被告を主取引銀行とした。

その際、富美は、自社の決算書類等をすべて被告(銀座支店)に提出し、その後も決算(毎年一二月)の都度決算書類を被告(銀座支店)に提出していた。

4(一) 昭和六三年四月ころ、富美は、代金五〇〇万米ドル(約六億円)で、エマニュエル・リューツ作の絵画「一四九二年パロスを出発するコロンブス」を購入したが、その購入資金等として、昭和六三年四月二七日ころ、富美の顧問弁護士である稲見友之弁護士から二億五〇〇〇万円を借り入れ、また、大澄を担当者として昭和六三年七月二二日に被告(銀座支店)から五億五〇〇〇万円を借り入れた。

稲見友之弁護士が富美に貸し付けた二億五〇〇〇万円は、昭和六三年四月二七日に大澄を担当者として被告(銀座支店)から借り入れたものであつた。

藤原は、右「一四九二年パロスを出発するコロンブス」が、一九九二年(平成四年)においては約三〇億円の価値を有するに至るものと考えていた。

(二)  稲見友之弁護士が被告に支払うべき金利は、その後富美が負担して支払つていた。

5(一) 昭和六三年五月ころ、富美は、顧客からの依頼で、ポロック作の絵画「ナンバー二〇」をオークションで落札したが、その顧客が買取りを拒否したため、その処置に困つた藤原は、大澄に対して、右絵画を買い取つてくれる顧客を探してほしい旨を依頼した。

(二)  右絵画の転売によつて確実に利益があがるものと考えていた大澄は、須藤及び宮崎に対して、これからは不動産よりも絵画の時代である旨、ポロックの作品は数少なく将来大きな値上がりが期待できる旨を述べて、右「ナンバー二〇」に投資してこれを買い取るよう勧め、かつ、希望するのであれば購入資金は被告において融資する旨を述べた。しかし、宮崎はこれに応じなかつた。

(三)  そこで、大澄は、自己と須藤において右「ナンバー二〇」を買い取ることとし、須藤とともに合計二億二〇〇〇万円を富美に支払つて右絵画を購入した。転売利益は、富美、大澄、須藤においてそれぞれ分配する約束であつた。

なお、右二億二〇〇〇万円は、宮崎の口添えで、須藤の義父が経営する会社において三菱銀行麹町支店から借り入れたもので、大澄は、右借入れにあたつて自宅を担保提供した。

6(一) 昭和六三年六月ころ、かねて藤原から投資家の紹介を依頼されていた大澄は、知人の不動産業者株式会社浜信商会の経営者浜本明及び株式会社岡本不動産鑑定事務所の代表者不動産鑑定士岡本幹生を藤原に紹介した。

(二)  藤原及び大澄は、右浜本明及び岡本幹生に対して、被告から融資を受けてレオ・キャステリ所有にかかる版画約九〇〇点を購入投資するよう勧め、結局、株式会社浜信商会及び株式会社岡本不動産鑑定事務所においてこれを代金二億二〇〇〇万円で購入することとし、被告(銀座支店)から各一億一〇〇〇万円ずつを借り入れて、昭和六三年六月二三日ころ、富美との間で次のとおりの「協同事業契約書」(甲二三、二四)を作成して事業契約を結び、同月二七日、二億二〇〇〇万円を富美に支払つた。藤原及び大澄は、浜本明及び岡本幹生に対して、一年後に四割の、二年後に八割の利益配当をしたい旨を述べていた。

〈1〉当事者双方は版画商レオ・キャステリの所有する版画を購入して販売活動を行うことを事業目的とし、その期間は二年間として、富美がこの販売活動にあたる。

〈2〉右事業資金二億二〇〇〇万円は、株式会社浜信商会及び株式会社岡本不動産鑑定事務所が負担する。

〈3〉購入にかかる版画の所有権は、株式会社浜信商会及び株式会社岡本不動産鑑定事務所に帰属する。

〈4〉利益の分配は、富美五〇パーセント、株式会社浜信商会及び株式会社岡本不動産鑑定事務所各二五パーセントとする。

(三)  その後、株式会社浜信商会及び株式会社岡本不動産鑑定事務所が被告に支払うべき金利は、富美が負担して支払つていた。

(四)  株式会社岡本不動産鑑定事務所は、その後、右契約上の地位を関連会社である有限会社エムアンドオーに譲渡した。

(五)  富美は、二年後、投資金及び利益金を支払つて、右事業を清算終了させた。

7 昭和六三年七月、富美は、大澄を担当者として被告(銀座支店)から在庫絵画購入資金として五億五〇〇〇万円を借り入れた。

8 昭和六三年九月ころ、藤原は、須藤から、投資家として宮崎を紹介された。

9 昭和六三年秋ころ、藤原は、被告銀座支店長に対し、大澄を富美に入社させることを承諾してほしい旨を頼んだが、同支店長はこれを断わつた。

10 昭和六三年一一月、富美は、ニューヨークでの絵画オークションを見学するツアーを企画した。

宮崎は、これに参加し、その際、富美の顧問弁護士である稲見友之弁護士と知り合つた。大澄は、右ツアーには参加しなかつた。

11(一) 右ツアーから帰国した後、藤原は、宮崎に対し、デ・クーニング作の絵画「ウーマン」を購入投資するよう勧め、また、大澄も、宮崎に対して、前記ポロック作の絵画「ナンバー二〇」が既に三割ほど値上がりした旨を述べ、右「ウーマン」には稀少価値があり大きな値上がりが期待できる旨、富美は被告が多額の融資をして子会社のように支援している会社である旨、稲見友之弁護士らも被告から融資を受けて富美から絵画を購入している旨、富美は投資元金(購入代金)の返還を保証し更に二〇パーセントの配当金を付加して支払う旨、を述べて、宮崎に投資を勧めた。同時に、大澄は、右「ウーマン」の購入資金は被告において融資してもよい旨を申し添えた。

(二) 宮崎は、大澄の右言を信じ、絵画の購入投資を行うこととし、こうして、原告宮ビルは、昭和六三年一二月二七日、富美に対して代金二億七五〇〇万円を支払つて右「ウーマン」を購入し、富美との間で次のとおりの協定書を作成して投資契約を結んだ(以下、このような契約を「本件絵画投資契約」ともいう。)。本件絵画投資契約は大澄と藤原とが考案したものであり、大澄は、自ら右協定書に連帯保証人として署名押印をした。

〈1〉富美は、絵画「ウーマン」を預かつて保管し、一年間その販売活動を行う。

〈2〉富美は、一年後に、右二億七五〇〇万円と配当金六〇〇〇万円を原告宮ビルに支払う。

(三) 右本件絵画投資契約当時、大澄と藤原は、後記「サザビーズ・アート・インデックス」と題するパンフレット等から、絵画の値段は毎年四~五割ずつ値上がりするものと考えており、値下がりすることは全く考えておらず、そして、もし右「ウーマン」が他に転売できなかつた場合には、新たな購入者(投資家)をみつけて同人に購入投資させ、その投資金をもつて原告宮ビルへの支払いに充てようと考えていた。

(四)  宮崎は、右当時、右絵画投資契約が元金保証とされており、また、大澄からの申入れもあつて、右絵画投資契約を五年間位は継続させようと考えていた。

(五)  なお、原告宮ビルが富美に支払つた前記二億七五〇〇万円は、原告宮ビルが従前からの取引銀行である三菱銀行麹町支店での与信枠に基づいて借り入れたもので、被告から借り入れたものではなかつた。

(六)  富美は、一年後、右「ウーマン」を買い取り、原告宮ビルに二億七五〇〇万円と配当金六〇〇〇万円を支払つた。

原告宮ビルは、右金員の一部で、後記17記載のとおり、ロバート・マンゴールドら作の絵画を購入してこれに投資した。

12(一) 平成元年一月三一日ころ、前記株式会社浜信商会及び有限会社エムアンドオーは、大澄からの勧めにより、被告から融資を受けて再度絵画投資を行うこととし、富美に対して代金合計四億五〇〇〇万円を支払つて、ロイ・リキテンスタイン作の絵画「キス・ウィズ・クラウド」を購入し、富美との間で次のとおりの協定書を作成した。大澄は、右協定書にも連帯保証人として署名押印した。

〈1〉当事者双方はロイ・リキテンスタイン作の絵画「キス・ウィズ・クラウド」を購入して販売活動を行うことを事業目的とし、その期間は一年間として、富美がこの販売活動にあたる。

〈2〉右事業資金四億五〇〇〇万円は、株式会社浜信商会及び有限会社エムアンドオーが負担する。

〈3〉購入にかかる絵画の所有権は、株式会社浜信商会及び有限会社エムアンドオーに帰属する。

〈4〉利益の分配は、富美九〇分の四五パーセント、株式会社浜信商会九〇分の二〇パーセント、有限会社エムアンドオー九〇分の二五パーセントとする。

(二) その後、株式会社浜信商会及び有限会社エムアンドオーが被告に支払うべき金利は、前同様富美が負担して支払つていた。

(三) 富美は、一年後、投資金及び利益金を支払つて、右事業を清算終了させた。

13 富美は、昭和六三年一二月、被告に二億七五〇〇万円を返済し、翌平成元年一月、今村某を担当者として被告(銀座支店)から在庫絵画購入資金として一億三〇九七万円を借り入れた。

14 こうした中、平成元年二月一日、大澄は、被告の関連会社であるセントラル抵当証券株式会社に出向し、被告(銀座支店)における富美の後任担当者は右今村となつた。

15(一) 平成元年五月、宮崎は、ニューヨークでサザビーズ社のオークションを見学したが、その際、藤原から、アンディ・ウォーホールの作品への投資を勧めたことから、原告宮ビルは、同年五月一六日ころ、富美に代金九三六二万一五〇〇円(消費税込み)を支払つてアンディ・ウォーホール作の絵画「ナイン・マリリン」を購入し、富美との間で次のとおりの協定書を作成した。大澄は、前同様自ら右協定書に連帯保証人として署名押印をした。

〈1〉富美は、絵画「ナイン・マリリン」を預かつて保管し、一年間その販売活動を行う。

〈2〉富美は、一年後に、右九三六二万一五〇〇円とその二〇パーセントにあたる配当金を原告宮ビルに支払う。

(二) 富美は、一年後、右「ナイン・マリリン」を転売し、原告宮ビルに右九三六二万一五〇〇円とその二〇パーセントにあたる配当金を支払つた。

原告宮ビルは、右金員の一部で、後記21記載のとおり、エドワード・ルッシェ作の絵画を購入してこれに投資した。

16 富美は、平成元年四月から同年一〇月までの間に被告に合計一億七二五〇万円を返済し、同年一一月、今村を担当者として絵画を担保に被告(銀座支店)から在庫絵画購入資金として二億円を借り入れた。

17(一) 平成元年一二月二〇日ころ、原告宮ビルは、前記11記載のデ・クーニング作の絵画「ウーマン」の売却代金によつて、富美からロバート・マンゴールドら四名作の絵画四点を代金合計二億八八五〇万円(消費税込み)で購入し、富美との間で次のとおりの協定書を作成した。大澄は、右協定書には連帯保証人として署名押印しなかつた。

〈1〉富美は、右絵画を預かつて保管し、一年間その販売活動を行う。

〈2〉富美は、一年後に、右二億八八五〇万円と配当金六〇〇〇万円を原告宮ビルに支払う。

(二) 富美は、一年後、遅れて右配当金を支払つたものの、残余の支払いができなかつたため、原告宮ビルの了承を得て、これを後記25記載のフランク・ステラ作の絵画二点への投資に切り替えた。

18 このような中、平成二年四月初め、大澄は、絵画に後半生を託すとして、被告銀行及びセントラル抵当証券株式会社を退社し、副社長として富美に入社した。

19(一) 平成二年四月一〇日ころ、原告宮ビルは、富美に対して代金一億円(消費税込み)を支払つてドームとガレ作の花瓶等美術工芸品一九点を購入し、富美との間で次のとおりの協定書を作成した。大澄は、右協定書には連帯保証人として署名押印しなかつた。

〈1〉富美は、右美術工芸品を預かつて保管し、一年間その販売活動を行う。

〈2〉富美は、一年後に、右一億円とその二〇パーセントにあたる配当金を原告宮ビルに支払う。

(二) 富美は、一年後、遅れて右配当金の一部を支払つたが、残余の支払いができなかつた。

20 平成二年五月、宮崎は、富美の企画したニューヨークのサザビーズ社によるオークションの見学ツアーに参加した。

右オークションにおいて、大澄と須藤が購入していた前記5記載のポロック作の絵画「ナンバー二〇」の競売が行われたが、買手がつかなかつたため、富美の意向を受けた真田一貫が落札した。

しかし、このような「親引け」の事実は、宮崎ら投資家には告げられず、また、大澄も事後藤原から聞かされてこれを知つた。

21(一) 平成二年五月二五日ころ、原告宮ビルは、前記15記載のアンディ・ウォーホール作の絵画「ナイン・マリリン」の売却代金によつて、富美からエドワード・ルッシュ作の絵画七点を代金合計一億円で購入し、富美との間で次のとおりの協定書(甲三六)を作成した。大澄は、右協定書には連帯保証人として署名押印しなかつた。

〈1〉富美は、右絵画を預かつて保管し、一年間その販売活動を行う。

〈2〉富美は、一年後に、右一億円とその二〇パーセントにあたる配当金を原告宮ビルに支払う。

(二) 富美は、一年後、何ら金銭を支払うことができなかつた。

22(一) 宮崎は、平成二年五月ころ、取引先の不動産管理業者原告有限会社バロン(以下「原告バロン」という。)の代表者藤井春子に対し、原告宮ビルがしている富美との間の本件絵画投資契約の内容とその安全性を説明し、絵画投資を行うよう勧めた。しかし、大澄が藤井に直接絵画投資を勧めたことはなかつた。

(二) 平成二年五月下旬、原告バロンは、富美に対して代金七五〇〇万円を支払つてデヴィッド・ホックニー作の絵画「ホテルアカトラン」、「二日後」、「二週間後」の三点を購入し、本件絵画投資契約を結んだ。

(三) 富美は、一年後、配当金を支払つたものの、残余の支払いができなかつたため、原告バロンの了承を得て、これを後記26記載のエルズワース・ケリー作の絵画「グリーン」への投資に切り替えた。

23(一) 平成二年七月五日ころ、原告宮ビルは、富美に対して代金一億五〇〇〇万円(消費税込み)を支払つてロバート・カミングら一二名作の絵画四〇点を購入し、富美との間で次のとおりの協定書を作成した。大澄は、右協定書には連帯保証人として署名押印しなかつた。

〈1〉富美は、右絵画を預かつて保管し、一年間その販売活動を行う。

〈2〉富美は、一年後に、右一億五〇〇〇万円と配当金四五〇〇万円を原告宮ビルに支払う。

(二) 原告宮ビルは、この絵画投資については、他に使用すべき一億五〇〇〇万円を一時流用したものであつたため、更新を予定しておらず、富美もこれを了承していた。

(三) しかし、富美は、一年後に何ら金銭を支払うことができなかつた。

24(一) なお、平成二年四月~六月、株式会社桂山インターナショナルは代金一億円を支払つて美術工芸品を購入し、有限会社芳林恒産は代金合計二億円を支払つて美術工芸品と絵画を購入し、有限会社テンチモは代金一億五〇〇〇万円を支払つて絵画を購入し、寮俊吉は代金一億円を支払つて絵画を購入し、有限会社桂山は代金三億五〇〇〇万円を支払つて絵画を購入し、それぞれ、富美との間で協定書を作成して絵画投資契約を結んだ。

(二) また、平成二年三月、前記株式会社浜信商会は、絵画を譲渡担保として富美に一億八三〇〇万円を貸し付け、同年一〇月、有限会社エムアンドオーは前同様一億六五〇〇万円を貸し付けた。

(三) 被告(銀座支店)も、平成二年六月、再度、絵画を担保に富美に二億五〇〇〇万円を貸し付けた。

25(一) 平成二年一二月二〇日ころ、富美は、前記17記載のとおり、原告宮ビルのロバート・マンゴールドら四名作の絵画四点への投資について配当金の支払いのみで残余の支払いができなかつたため、原告宮ビルの了承を得て、右ロバート・マンゴールドら四名作の絵画四点への投資をフランク・ステラら二名作の絵画二点(代金相当額二億六〇〇〇万円)への投資に切り替え、富美との間で次のとおりの協定書を作成した。大澄は、右協定書には連帯保証人として署名押印していない。

〈1〉富美は、右絵画を預かつて保管し、約一年間その販売活動を行う。

〈2〉富美は、一年後に、右二億六〇〇〇万円と配当金五二〇〇万円を原告宮ビルに支払う。

(二) 富美は、一年後に何ら金銭を支払うことができなかつた。

26 平成三年五月二八日ころ、富美は、前記22記載のとおり、原告バロンのデヴィッド・ホックニー作の絵画「ホテルアカトラン」、「二日後」、「二週間後」の三点への投資について配当金の支払いのみで残余の支払いができなかつたため、原告バロンの承諾を得て、右デヴィッド・ホックニー作の絵画三点への投資をエルズワース・ケリー作の絵画「グリーン」(代金相当額七五〇〇万円)への投資に切り替え、富美との間で次のとおりの協定書を作成した。大澄は、右協定書には連帯保証人として署名押印していない。

〈1〉富美は、右絵画を預かつて保管し、一年間その販売活動を行う。

〈2〉富美は、一年後に、右七五〇〇万円とその二〇パーセントにあたる配当金を原告バロンに支払う。

27 富美は、平成三年五月ころからその資金繰りに窮し、同年八月に倒産した。

28 なお、本件絵画投資契約における投資対象絵画等は、アメリカ現代美術絵画等であり、「サザビーズ・アート・インデックス」と題する書面によれば、ニューヨークのサザビーズ社によるオークションにおけるアメリカ現代美術絵画等の落札価格は、一九七五年(昭和五〇年)の指数を一〇〇とすると、一九八〇年(昭和五五年)三五〇、一九八五年(昭和六〇年)六六七、一九八九年(平成元年)一三七一で、急激な上昇をみせており、特に、一九八五年(昭和六〇年)から一九八九年(平成元年)までの四年間では二倍以上の上昇をみせていたが、しかし、一九八九年(平成元年)をピークに下降に転じ、一九九〇年(平成二年)の指数は一一七四となつている。

以上の事実が認められる。

二 争点1について

1 被告は、「原告宮ビルが富美との間で昭和六三年一二月二七日に第一回目の本件絵画投資契約を結んだのは、大澄の勧誘行為によるものではなく、専ら宮崎の自主的判断によるものである。」旨主張する。

2 たしかに、前記認定の事実によれば、原告宮ビルの本件絵画投資契約はその代表者である宮崎の自主的な情勢判断によるところが多かつたことは否定できないが、しかし、その意思決定の最終的かつ重要な要因はやはり大澄の助言と勧誘にあつたものと認められるから、被告の右主張は採用できない。

三 争点2について

1 原告らは、「大澄の本件絵画投資勧誘行為は、富美のメインバンクたる被告(銀座支店)の富美担当者として、富美を金融面・営業面で積極的に支援する一環としてなされたものであり、被告銀行の発展のためになされたものであつて、大澄は絵画投資契約なるものの考案に当初から参画し、協定書の案文作りにも深く関与しており、そして、大澄は自己が職務上接する取引先等を次々と勧誘し、原告宮ビルはそのような過程において大澄から強い勧誘を受けたものである。大澄が原告宮ビルを勧誘した目的の一つに、新規取引先の開拓として原告宮ビルに投資金を貸し付けようとする意図があり、投資金の融資まで申し出ていることは、特に注意すべき事実である。」旨主張し、大澄の本件絵画投資勧誘行為は被告の「事業の執行に付き」なされたものであると主張する。

2(一) たしかに、〈1〉被告銀座支店の支店長代理である大澄が原告宮ビルら投資家に対して富美への投資(絵画の購入)を勧めこれを承諾させることは、被告にとつて新規取引先の獲得あるいは既取引先との取引拡大につながる可能性もあること、〈2〉大澄の本件絵画投資勧誘行為の目的の一つに、それが大きなものではなかつたとしても、投資を承諾した投資家に被告から投資金を貸し付けようとする意図があつたことも否定できないこと、〈3〉一方、本件絵画投資勧誘行為によつて投資家が投資を承諾し、実際に富美に投資をすれば、富美に多額の貸付金を有する被告としてはその回収が一応容易となる理であり、本件絵画投資勧誘行為によつて被告が受ける利益もないわけではないこと、等は原告ら主張のとおりである。

(二) しかしながら、〈1〉大澄の支店長代理としての職務は、被告銀行のために新規取引先を開拓獲得しあるいは既取引先との取引を拡大継続させることにあつたのであり、大澄の本件絵画投資勧誘行為は、通常大澄の右のような職務に付随随伴する行為とは認められないこと、〈2〉本件において、大澄の本件絵画投資勧誘行為は、多分にその個人的な興味と思い入れに基づくものであると認められること、〈3〉そして、本件絵画投資勧誘行為を受けた原告宮ビルがその投資金を被告銀行から借り入れたことはなく、また、大澄が原告宮ビルに対して特に強く被告銀行からの借入を勧めた形跡もないこと、〈4〉富美は、本件絵画投資契約において、投資元金の返還と配当金の支払いとを約しているが、そのような契約の締結を勧めること自体が被告銀行の事業に含まれないことは明らかであること、〈5〉原告宮ビルに対して最初に本件絵画投資勧誘行為がなされた昭和六三年一二月当時においては大澄は被告銀行の行員であつたものの、第二回目当時(平成元年五月当時)はセントラル抵当証券株式会社に出向中であり、平成二年四月以降は被告銀行を退社した後の勧誘行為であること、等の事実を総合考慮すると、大澄の本件絵画投資勧誘行為は同人の職務行為に含まれないことはもとよりそれと密接な関連を有する行為であるとも未だいい難いものというべきである。

3 原告らの前記主張は採用することができず、そうとすれば、これを理由とする請求も認容することができない。

なお、大澄は原告バロンに対して直接的に本件絵画投資勧誘行為をなしていたわけではないから、この点からも、同原告の請求は認容することができない。

四 争点3について

原告らは、「被告は、遅くとも平成二年三月末ころまでには、富美においてはもはや本件絵画投資契約に基づく配当金の支払いと投資元金の返還ができず、本件絵画投資契約は早晩破綻に至るおそれが大であることを了知するに至つたのであるから、新たな被害者及び被害額の発生を防止するため、直ちに原告宮ビルら投資家に対してその旨を告知して注意を喚起する等しかるべき被害発生拡大防止措置をとるべき義務があつたのに、これを怠つた。」旨主張する。

たしかに、銀行に公共機関的な性格があることは否定できないが、しかし、銀行も営利活動を行う存在であることからすれば、その活動を不当に制限するような特別な注意義務や責任を認めることは妥当でなく、また、本件において富美への投資を取り止めるよう原告宮ビルら投資家に勧告することは、場合によつては富美の営業活動に対する不当な妨害にもなりかねないものであつて、たやすく原告ら主張のような注意義務の存在を認めることはできず、その他、本件にあらわれた一切の事情を考慮しても、被告に原告ら主張のごとき責任が発生するとも認められない。

被告らの右主張は採用できず、これを理由とする請求も認容することができない。

五 争点4について

原告らは、「被告は、昭和六三年一月ころから富美に対する支援姿勢を強め、同年一二月ころからは、本件絵画投資契約を、運転資金の貸出という金融面と投資家の勧誘や投資家への投資金の貸出という営業面において、積極的に支援していたが、右絵画投資契約は違法不当のものであつたのであるから、これを支援した被告には、不法行為の幇助者としての共同不法行為責任がある。」旨主張する。

しかし、たとえ、富美が本件絵画投資契約に供する絵画を購入する目的で被告から金銭の貸付を受けたものであり、そして、被告がこのことを知つていたとしても、被告が本件絵画投資契約を積極的に支援した幇助者であるとは未だ認め難く、その他、本件にあらわれた一切の事情を考慮しても、被告が富美とともに共同不法行為責任を負うべき理由をみい出しえない。

原告らの右主張は採用できず、これを理由とする請求も認容することができない。

六 よつて、原告らの本訴請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 原田敏章 裁判官 内田計一 裁判官 真鍋美穂子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例